7月になった。
いよいよ夏。
紫陽花も見納め。
お気に入りの場所に撮りに行った。
と、言ってもいつもの場所。
近所の長津川遊水地。
毎朝走りながら、
ここアジサイは良いなと思う。
階段に沿って植えられた紫陽花。
高低差があるのが良い。
鎌倉の長谷寺にだって負けてない(はず)。
それにここは人が少ないし。
もう少し近づいて。
日差しがまぶしい。
階段脇に低く咲いたもの。
落葉の湿った感じが良い。
似たカットばかりになってしまう。
もう一枚だけ。
...
大体こういう記事(近所の写真)の時は、
そんなに書くことが無いとき。
でもなるべく平日は毎日書きたい。
休むとサボった気になる。
(毎朝走るのに似ている)
そう言うの、習慣って言うんだろうな。
とにかく書くのは好きだ。
誰かに伝えたくなる何か。
平凡な毎日の中で、あると良いんだけどなぁ。
いよいよ夏。
紫陽花も見納め。
お気に入りの場所に撮りに行った。
と、言ってもいつもの場所。
近所の長津川遊水地。
毎朝走りながら、
ここアジサイは良いなと思う。
階段に沿って植えられた紫陽花。
高低差があるのが良い。
鎌倉の長谷寺にだって負けてない(はず)。
それにここは人が少ないし。
もう少し近づいて。
日差しがまぶしい。
階段脇に低く咲いたもの。
落葉の湿った感じが良い。
似たカットばかりになってしまう。
もう一枚だけ。
...
大体こういう記事(近所の写真)の時は、
そんなに書くことが無いとき。
でもなるべく平日は毎日書きたい。
休むとサボった気になる。
(毎朝走るのに似ている)
そう言うの、習慣って言うんだろうな。
とにかく書くのは好きだ。
誰かに伝えたくなる何か。
平凡な毎日の中で、あると良いんだけどなぁ。
コメント
コメント一覧 (3)
これでダメなら、具体的な誰かから、例えば、私ワンが「おはよう」って声をかけてきたと。
あと、どうしても書くことがないとき、やってみるといいのは、写真を使わないで、
言葉だけで、写真の中にある、たとえば、紫陽花を描いてみる。
歴史的にいえば、「写生文」というんだけどね。これを短くすると、俳句にもなる。
朝顔や 一輪深き 淵の色 蕪村
朝顔がたくさん咲いています。その中に一輪だけふちの色が濃いのがありました。
写真でとっても、美しくなるよね。それを、言葉だけで表現するわけです。
で、この一句の、前後の様子も文章にすれば、原稿用紙一枚ぐらいの、エッセイにもなります。
でね、別に面白いものをさがさなくてもできるんです。写生文は。
写生文、という視点も良いですね。
僕は写真に頼りすぎているし、
たまにカッコつけて書いている部分もあります。
そのような自然な気持ちを綴るのも素敵ですね。