残念ながら、これは僕の自伝です。
何かしらの美しい物語ではありません。
興味のある方にだけお読みいただければ。

虎太朗(犬)とスイカ
(今日は実家の虎太朗とスイカ食べました)

* * *
 
僕は小さい頃から本が大好きで、
気付けば自分で本を作るようになりました。
(もちろん、たくさんの人にご協力を頂きつつ)

今に至る経緯を一度整理しても良いかな。
そう思い立って、記します。
(気まぐれな私的記録です。あしからず)

振り返ってみると、
いろいろやって来たけど
無駄なことは一つとしてなかったと思う。
あまり短期(短気)に考えないこと。

人が嫌でも長生きする時代。
重要なことは
生涯を通し、自分が何を為すかだと思う。
過去より今、今より先が大切。
一つうまくいかなくても、焦らない。

家族のために働くも一つ。
長い計画を立てて、何かを実現させるも一つ。
いろんな生き方があります。
自分で決めたなら、それが正解。


それでは僕の小学生時代から。


①〜小学校時代


父方の祖父が、大変な読書家だった。
船橋市本町にあった彼の3階建ての家。
3階は書庫で、ぎっしり本で埋め尽くされていた。

いま考えれば
「もう読まない本は捨てたら良いのに」
と思わなくもない。
世の中には、捨てられない人もいる。
ちなみに自分は、捨て過ぎる。色々。

亡き祖父祖父は小さい時から
本だけは惜しみなく買ってくれた。

船橋東武5階の旭屋書店に一緒に行って
(当時は途中に野良犬がいて怖かった)
いつも欲しい本を買ってくれた。
とても恵まれたことだと思う。

時に読み聞かせてもらい。
時に自分で読み進め。

幼稚園の時も図書室に入り浸り、
小学生に上がる頃には
平仮名・片仮名だけではなく
それなりに漢字も読めた。
これはおじいちゃんのおかげ。

ちなみに自分の名前の「信」の字は
祖父からいただいたもの。
(祖父=安藤信吉)

小学校でも国語が一番得意で、
卒業文集の将来の夢には「教師」と書いた。

それは叶わなかったが、
現在ではその想いが
別の形で生きている気がする。


②〜大学生時代


なんとなく「教師になろう」と考え続け
教育学科に入った。

正直、スターバックスのバイトが楽しくて
勉強もしたけどアルバイトが良かった。

当時のスターバックスには可愛い子が多かった。
しかし、今となっては後の祭りでしかない。

卒論の時の担当教授(70歳くらい)から
「君は納得しないとやらないよねえ」と言われ
うん、今でもそうだなあと思う。
人をよく見る教授だった。

仕事をする上で最も大切なことの一つは
「自分が納得できるか」ということ。
誰かに言われたとか、周りがどうとかより
自分の行いに納得できるかのほうが大事だ。

母校(芝山中)での教育実習を経て、
「自分は一斉教授には向かない」
と実感し、出版社に勤める道を選んだ。
教師向けの専門書・学校教材の会社だった。


③出版社時代


新卒で勤めた出版社。
社員は100人超で、
出版社としては大きい方。

【出版社時代で学んだこと】
・組織というものの在り方
・本の流通の仕方(書店に並ぶまで)
・千葉以外の地方の魅力


本がどのような仕組みで流通され、
出版社とは何をするものか。
そういう仕組を肌で感じる。

営業3年・編集1年。
北関東、四国を回り、
地元の書店さんと一緒に
学校を回り本を売る仕事をした。

特に四国には
4県それぞれに独特の文化があり、
出張がいつも楽しみだった。
現地の人はいつも優しくて温かかった。

忘れられないのは徳島の上勝町で見た山間の景色。
今でもはっきり思い出せ得る美しい光景。
あんな自然の姿が日本にまだあったなんて。
(9月に訪ねようと思っている)

出版社をやめるとき。
辞意を伝えた後の社長の一言。

「お前はどこに行っても大丈夫だから、頑張れよ」

と言われたことが忘れられず、
また現在の行動の指針の一つでもある。
小さな一言が、人の力になるときもある。

全然大丈夫じゃないけど…
と正直思うけど。
気持ちは持ちよう一つかもしれない。


④保険代理店時代


出版社をやめた後は、
実家の家業の保険代理店に入った。

実はこの期間が一番長く、
気付けば30歳を越えていた。

【保険代理店時代で学んだこと】
地元で仕事をするということ


25歳で船橋に戻ってきて、
地元っていいもんだなあと思った。

船橋で仕事をするのは、
僕にとっては今でも基本中の基本です。


⑤編集プロダクション時代


やはり本に携わる仕事がしたくて、
32歳で編集プロダクションに飛び込む。
県内随一のスタジオのある会社だった。

【編プロで学んだこと】
・実際の印刷物の制作現場
・本を作るための取材の仕方
・スタジオ撮影/取材撮影


編プロでも編集の仕事をしたけど
「自分で制作もできたらいいな」と思った。

制作ができれば、自分で本が作れるはず。
そう確信した二年間でもあった。


⑥印刷所時代


再び地元へ戻ってくる。
幸いにもご縁あり、
高根公団の印刷所で仕事をすることに。

この時には明確に
「自分で本を作れるようにする」
という気持ちで日々を過ごしていた。
(今もその想いは変わらずに)

【印刷所で学んだこと】
・紙や印刷の仕組みのこと
・本作りのための具体的な制作技術
・船橋の印刷の実情


ここは本当に「町の印刷屋さん」。
近所の人から、名刺やチラシの依頼が来る。
地元小・中学校のPTA広報紙も多い。

初めて印刷物の制作作業に取り組み、
これがとても面白かった。

実際に「作る」というのがどのようなことか
研究を日々重ねて今に至る。

* * *

これらすべての経験があるからこそ、
現在の自分の「できること」があると思う。

今だから言えるけど、
無駄なことなど一つもなかった。
(当時は嫌だな〜と思うこともあった)

僕は幼少期から本が好きだったから
自分で本を作るようになった。

不思議といえば不思議だし、
必然といえば必然なのかもしれない。

嫌でも好きでも
見聞きしたこと、経験したことは
遠回りにもすべて自分自身になる。
それに気付くまで、三十六年が必要だった。

今朝走っていて、
なんとなく考えたことを
文章にまとめてみました。

最後まで読んでいただき、
どうもありがとうございます。

これからが夏本番。
体調に気を付けて、頑張りましょうね。