人には「好き嫌い」がある。 

僕は寿司が好きで、数の子が嫌い。

こんな食べ物の話だけではなく。
人についても好き嫌いと言うのはある。

一人ひとり性格も生き方も価値観も違う。
だから好き嫌い・合う合わないはどうしても生じる。
それは致し方無い。

「全ての人を愛する」

なんて、聖人にはなれない。 

「嫌いな人はいない」

そう言える人もいる。
素晴らしいと思う。

自分は未熟で頑固だから、
どうしても好き嫌いが出てしまう。
あー…。

* * *

悪口に近い批判を目に、耳にすることがある。
(批判は元々マイナスの意味でのみ使う言葉では無い)

なんでそう言うことを
「第三者に見える形で」発するのかと思う。 

心の中で思うのは自由だ。
僕だって不満を抱えることはよくある。 
でも、それを人に見える(聞こえる)ように発言するとなれば別だ。

苛立ちを誰かに認めて欲しいからか。
他者を落とすことで自分を大きく見せたいのか。
理由は色々なのだろう。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざがある。
気に入らない人は何をやっても気に入らない、ということだ。

しかしながら悪意ある批判を公言するのは控えたい。
(それが悪意だと自身で気付かないこともあるのだろう)
周りのためにも良くない。
満たされるのは己の一時の優越感。
それも結局ネガティブな形で自分に跳ね返ってくることになる。 

* * * 

先に書いたように、誰しもが好みを持つ。
従って全ての人に好かれるということは無い。 

出会う人の-
(A)20%は自分に対して好意・興味を持ってくれる。
(B)60%は特に興味が無い。
(C)20%は自分に対して否定的。 

こんな感じなのかなと考えてみた。
(かなり甘めの見立てかもしれない)

進んで嫌われる必要もないけれど、 
無理に好かれようとする必要もない。 

大事なのは「好意を持ってくれる20%の人のために何ができるか」だと思う。
何が役に立てるか。
どうすれば喜んでもらえるのか。

気にしなくて良いことを気にするよりも。
(A)の20%の方々の気持ちに応える方がずっと大切。
心の遣いどころを間違えちゃいけないなと。

* * *  

なんでこんなことを書くかといえば、
僕が「気にし屋」だからです。

自分が言われて、
人が言われて、
やっぱり気になる小心者。 

だからこうして書くことで心を落ち着かせ、
気持ちを前向きに持っていく。 

もうちょっと肩の力を抜いてみよう。
(元から抜け過ぎているのかもしれないが)

当ブログを継続的にお読みくださっている方の多くは
「興味を持ってくださっている」方(だと思っています)。 
それが励みになります。
ありがとうございます。 

虎太朗

まとまりの無い、じめっとした記事になってしまいました。
天気も良いので出かけてきます。
少し暖かくなるみたいで嬉しい。