品川駅構内の本屋に寄った時。
別の本を買おうとすると、
この本がレジ前にと積み上げられていた。

村上春樹『職業としての小説家』

村上春樹著、『職業としての小説家』。
自伝的エッセイ か。面白いだろうなと。

その時は買わずに(本屋の作戦にハマった気がして)。
後日、船橋東武の旭屋書店で買った。

申し遅れたけれど、僕は村上春樹氏の大ファン。
間違いなく一番好きな作家さん。
何度も同じ本を読み返している。
文章のリズムがよく、音楽を聴くみたいな心地よさで読める。
そして飽きない。


えっ、村上春樹ってこんな顔なの?


読みかけのこの本をちゃぶ台に置いておいた。
表紙を見たウチの人が驚いたように言った。

「えっ、村上春樹ってこんな顔してるの?ぷふふ。」

いったいどんな顔だと思っていたんだよ...
とも思ったが、彼女が言うのも確かになと。

彼はメディアに出ないだけではなく、普段も著書に顔写真を載せていない。
だから今回の表紙を見た時、かえって新鮮だった。

“あまり気乗りしないけど、たまには悪くないのかもしれない。こういうのも。”

なんて氏は思いながら、撮影に応じたのかもしれない。


「小説家」であり続けること。


さて本の内容について。
氏がいかに小説を書き続けて来たのか、小説家で在り続けているのか。
非常に大雑把に言えばそんな事が書かれている。
あとは「小説家」と言う人間についての氏の持論。

ファンなら十分楽しめるし、
ファンでなくても一人の小説家の生き方として面白いと思う。

やっぱりこの人はちょっと変わっているなぁと感じながらも、
「うんうん、分かる気がする」という部分も多い。

彼が語る、小説家であるための視点。
それは村上春樹が村上春樹である所以(ゆえん)。
非常に興味深かった。


とにかく結論を出したがる世の中


印象に残った箇所。

だいたいにおいて今の世の中は、あまりにも早急に「白か黒か」という判断を求めすぎているのではないでしょうか?

また、

僕の経験から申し上げますと、結論を出す必要に迫られるものごとというのは、僕らが考えているよりずっと少ないみたいです。

そうだよなぁと思った。
必ずしも話や物事に結論がなくってもいいのに。
常々感じていたことだ。

結論を出すというのは、ものごとに記号を付けるのに似ている。
分かりやすくラベリングできる反面、ディティールは失われやすい。
今や入ってくる情報も出来事も多すぎて、そうしないと間に合わないのかもしれない。

“できるだけ時間をかけて考えよう”

遠回りな感じがするが、そうでもない気もする。
「これはこう」とすぐに判断せず、自分の頭を使って掘り下げてみる。

「なぜファミリーマート芝山4丁目店のスタッフさんは美人ばかりなのか?」

できるだけ時間かけて考えてみる。
悪くないかもしれない。

* * *

ぱらぱらページをめくり直すと、意外なほど読んだ内容が頭から抜け落ちている。
またゆっくり再読してみようと思う。

ハードカバーで少々お高いですが、
宜しければ本屋でお手にとってみてください。

村上春樹著 『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング)