「恩師」と呼べる人を挙げるなら、この先生しかいない。

渡邊環(わたなべ・たまき)先生。男性。

僕が芝山中1年の時の陸上部の顧問。
担任ではなかったが、社会科も習っていた。 
2年生に上がるときに別の学校へ異動された。 

当時30歳だった先生には勉強より走ることについて沢山教えて頂いた。
「一日練習を休むと取り戻すのに三日かかる」という言葉をよく覚えている。
科学的には休んだほうが良いのだろうが、それは「続けることが大事なんだ」という意味だったのだと思い返す。
あれから十九年。今でも僕は毎日走り続けている。

* * *
 
そんな先生と再会することになった。
完全な偶然で、本当に驚いた。

SAHARA20140313

その日は船橋にあるSAHARA(サハラ)というダイニングバーで留理子さんのライブがあった。
たまたま僕も聴きに来ていた。

演奏が全て終わった直後、8名の団体が店に入ってきた。
その団体の中に環先生がいた。
突然過ぎてたまげた。

興奮気味にそのテーブルへ行き、声をかける。

「環先生、芝山中でお世話になった安藤です。」 

「おー!安藤か、何してんだこんなとこで!?」 

昔と変わらない大きな声が返ってきた。
どうやら同じ学校の先生仲間で飲みに来たらしい。
他の先生方に環先生が僕を紹介してくださった。
 
「コイツさ、本当に俺の言うこと聴かなかったんだよ。」 

ちょっと先生、少し良いこと言ってよ…。
とも思ったが事実は事実。

僕は先生に留理子さんを紹介。

「コイツな、俺の言うこと全然聴かなくてさ。」 

先生は留理子さんにも同じことを言った。



恩師とせっかく来てくれたのだからと。
もう1ステージライブをやってもらえることになった。

僕が写真を撮りながら一人で座っていると、先生がやって来て僕の向かいに座られた。
初めて一緒にお酒を飲んだ。

環先生

環先生。
ライブ中もノリノリ。

「杏里だろ、これ。杏里だよな?いやー俺の世代だよ。」 

『オリビアを聴きながら』で大興奮。
ラストの『聖者の行進』ではヴォーカル顔負けの合いの手をいれてくださった。



今の学校現場のことも少し話した。 
最近は色々変わって大変じゃないですか?と訊くと。

「俺達が変わっちゃだめでしょ。教師のやることは変わらないよ。」 

先生らしいと思った。
自分のテーブルに戻った先生が後輩教師に話す姿が昔生徒に指導していた姿とダブる。
いろんな意味で変わっていない。
変わったところといえば、教頭の役職に相応しい貫禄が漂っていることくらいだった。 



気づけば夜十一時が近い。

「なんだ、もう帰るのか?」 

挨拶をして、先に失礼することにした。 

渡邊環先生と

最後に一緒に写真を撮った。
二人とも酔っ払い。
こんな日が来るなんて、思わなかったな。 

僕が地元に戻っていなければ。
この日ライブに来ていなければ。まず無かったであろう再会。

地元の縁って面白いもんだなぁ。