久々にカチンとくるメールを頂いた。
さして怒りを感じたわけではなく、おやっ?という程度だけど。
仕事関係ではないし、友人・知人からでもない。
ただ、僕が関係はしていること。
その文面は言葉遣いもしっかりしていたし、誤字も無い。
けれども何かが足りない。

メールを書く機会は多い。
いわゆるe-mailに限らず、仕事でも仕事外でも何らかの形で言葉を送る機会は増えている。
なおさら気をつけねばならない。
ビジネス文書は「結論ありきで端的なものが良い」のかもしれない。
だけどもそれだけじゃない。
もっと大切なことがある。
「相手への気遣い」
今さら感があるが、意外とできていない(自分も)。
それは読んだ相手がどう感じるかを考えること。
先のメールには気遣いが欠けていた。
かくいう自分も前職で上司にこっぴどく叱られたことがある。
「間違いないように気をつけてください」と送ったメールで。
悪気は無かったが、大変な失礼だったと反省している。
メールは機械的な文字の羅列。
自分が思った以上に相手は冷たく(無機質に)感じる。
反面、こちらの感情の昂(たか)ぶりを相手は冷ややかに捉えることもある。
つまり、送り手と受け手に温度差が生じやすい。
時として書き手は丁寧なつもりでも、読み手が「カチン」となることだってある。
それを補うのは「やわらかい言葉」だと思う。
「恐れ入りますが」などのクッション言葉と呼ばれるものはその一つ。
あとは全体の雰囲気。
もともと日本語は柔らかい表現が上手な言語なのに。
今、一部でその「やわらかさ」が失われつつあるように感じる。
寂しいことだ。
その原因の一つに、「文字コミュニケーションのインスタント化」があると考えている。
ボタンひとつで意思表示をしたり、絵文字だったり、スタンプだったり。
定型文に慣れてしまったり。
便利さとは別の何かを失うことでもある。
簡単に言葉のやりとりできるようになる一方、書くことから気遣いや「やわらかさ」が消えていく。
記号に頼らなければ気持ちを文字に乗せられなくなる。
知らずのうちにそうなってしまったら嫌だ。
* * *
“(前述のような)便利な時代になったのだから、ツールはうまく使えばいい。”
“言葉やコミュニケーション方法も変化していく。”
その通りだと思う。
でも、書くときに読み手・相手への気遣いまで無くしてはいけない。
この記事も日本人らしく、結論を最後に書く。
メールを書くときに一番大切なのは。
「送る前に読み返す」
ことではないか。
相手はどう感じるだろうか?
読み手の気持ちになって文章を読み返す。
誤字・脱字のチェックだけではなく。
この表現は相手を不快にさせてしまうかな、などと考える。
当たり前すぎるけど、意外にできていない。
時間がないとパッと送ってしまったり。
一度読み返してみるだけで全然違うと思う。
読み直すことは気遣いでもある。
大事な文書の時だけではなく、普段からその習慣を付けたい。
せっかく文章を送るなら、嫌な気持ちにさせるより、良い気持ちになって欲しいと思う。
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