2020年のオリンピックの開催地に東京が選ばれた。
嬉しい。
素直に喜びたい。
この朗報。
たくさんのメディアで賑やかに取り上げられたことだろう。
2020年に関連した本や企画もドンドン出てくるはず。僕の周りでも話題が飛び交った。
…
…
ふと気づいた。
沢山の人が「7年後」の自分のことを思っていた。
オリンピックが開かれる2020年の自分を。
「7年後は◯◯歳だ」と数えたのではないだろうか。
仕事が変わっているかも…と想像する人もいれば、
経営者ならば自分の会社の7年後の姿を考えたかもしれない。
「子どもも7歳になってるのかぁ」なんて、しみじみした人もいるだろう。
これだけ多くの人が「7年後の自分」のことを同時に考えるのは面白い現象。
なかなか無い。
一つの社会現象ではないか。
少なくともスカイツリーが出来るときに29歳の自分を思い描かなかったし、
消費税が上がるからと言って31歳のことを考えはしない。
なぜ皆が揃って7年後の自分を考えるのか?
なぜオリンピックなのか?
その理由を考えてみた。
2つ、見つかった。
* * *
①間接的な勝利によるオリンピックの「自分ごと化」
東京が開催地に選ばれて「嬉しい」。
これは間違いない。
(もちろん開催賛成派の話だけれど)
どうして嬉しいのだろう?
多くの人にとって「◯兆円」の経済効果が出るから嬉しいのではない。
(経済効果も理論上の数字ではあるのだが)
他の候補地に勝利し、「選ばれた」からだ。
もちろん自分が(意図して)何かしたわけではないから、
僕にとっては間接的な勝利と言える。
自分の国、日本が選ばれた。
競り勝った。
これは国民全体で勝利を共有すること。
金メダルを取ったり、日本のチームが世界の大会で優勝するのも嬉しいが、
「自分の住む場所が」選ばれたことはちょっと違う意味を持つように感じる。
その勝利は「自分ごと化」される。
だから自分のことのように嬉しいと感じるのだ。
自分が選ばれた。
この高揚感を国民全体で共有できるのはすごいことだと思う。
②確かにやってくる“そう遠くない”未来
50年後にハレー彗星が見られる、と聞いてもイマイチぴんと来ない。
60億年後に地球の寿命が尽きると言われても、サッパリ。
しかし7年後はどうだろう。
なんとなく、想像することができる。
7年先は「そう遠くない」未来。
世の中は不確実なことであふれている。
誰も自分の7年後を正確に予想することはできない。
会社だったり、自分だったり。
何があるかは分からない。
一方、オリンピック開催はかなりの「確かさ」を持つ。
よほど大きな自然災害や社会事変でも無い限り、開催は堅い。
自分の7年後よりもオリンピックの開催の方が「確か」なのだ。
(少なくとも僕にとっては)
だからオリンピックは自分の先を想像する思考軸になり得る。
不確かなことが多い中での、「かなり確か」なこととして。
* * *
“選ばれた“という間接的な勝利によりオリンピックが「自分ごと化」される。
「確かにやってくる“そう遠くない”未来」としてのオリンピックが、自分の未来の思考軸になる。
だから多くの人が「7年後の自分」を思い描いたのだと思う。
ただ、負の側面だってある。
表に出てこないこともきっと多い。
したがって「楽観的」「単純化しすぎ」と言われるかもしれない。
それを承知で書いている。
明るい話題はやっぱり嬉しい。
37歳の自分。
僕も想像してみたりする。
僕も想像してみたりする。
コメント