近くのコンビニへ行った。

コンビニ

80歳を超えるおばあちゃんが
3,000円近く食料品を買っていた。
カゴどっさり。
いつものことなのだろう。

近所にぴかぴかの大きなスーパーがあるのに、そちらで買わない。
ちょっと不思議に思った。

考えてみた。

そのおばあちゃんにとって、
巨大なスーパーは大きすぎて買い物がしづらいのではないか。


僕の祖母もボヤいていた。

買い物をする祖母

「あそこ(近所に最近できた2階建てのスーパー)は
買い物がしづらいからなぁ…。」

要は広すぎるのだ。高齢者にとって。
祖母は今は無くなってしまった小売り市場(芝山プラザ)が気に入っていた。

* * *

最近、商店街のお茶屋さんとこんな話をした。

「開発が進んで、みーんな大きくなって。
便利になったんだか不便になったんだか分からないよねえ。」

病院も大型のところに集約されていく。
まちの小さな診療所が無くなっていく。

大きな病院はどうしても並ぶ。待つ。
ちょっと具合が悪くなったときに診てもらうのが大変。
一方で、薬屋さんにカラダの相談の列ができている。


買い物もそうだ。
「ちょっと」買い物をする場所が無くなってきている。
大型スーパーでは、タマネギ1個を買うにもレジの行列に並ばなければいけない。 

その受け皿の一つがコンビニになっている。 
冒頭の腰の曲がったおばあちゃんもそう。
このところ、野菜や生鮮食品を置くコンビニが増えたのにも、その影響があるはず。 
 

大型化が進み、まちが整理され。
確かにいい部分もある。
あらゆるところで高齢者や小さな子連れへの配慮が見られる。

しかし。
それは本当に便利になったと言えるのだろうか?


大型ショッピングモールは「高齢者に優しい」を打ち出す。
エスカレーターの速度はゆっくりになり、
施設の中に病院ができ、シニア向けショップが並ぶ。

だが。 
「高齢者に優しい」とはそういうことだろうか。

* * *

自身
、ぴかぴかの大きなスーパーにも行く。
24時間空いているし、何でもそろう。

無人レジ

セルフレジもある。
実際は「無人」レジだが。 
これがちょっと味気ない。
だから僕は多少並んでも人のいるレジを選ぶ。
無人レジでは買った気がしない。


先日、芝山団地商店街のお祭りに行った。
お祭りのとき以外にも行く。

親子2

ほっとする。
商店街に足を運ぶと。

買い物をしなくても、知っているひとの顔を見るだけで安心する。
この「当たり前」が当たり前で無くなってきている。
寂しく感じる。


人が集まるとは、たくさん人が居ることではない。


大きいことがいいのか。
小さいことがいいのか。

答えは出せないし、
ましてや二者択一では無い。

それでも。

コンビニで食料品を買い込むおばあちゃんを見て、
何か失ってはいけないものがあると思った。


開発・大型化の波を止めることはできない。

「住みやすさ」とはなんだろう。

少なくとも、綺麗に整備されていることだけでは無いはずだ。

この疑問を大切に暮らしたい。
せっかく住むなら、あたたかいところがいい。