FacebookにTwitter、ほかいろいろ。

SNSユーザーやブロガーにとって、
食べ物の写真をアップする機会は多い。

僕もそう。

なぜ、食べ物の写真をネット上にアップしてしまうのか。 
アップしたくなるのか。

アップされた写真や投稿を見た方もそう。
食べ物の写真には反応しやすい。

なぜか。

* * *

“食べ物の写真ばかりアップするのは病的だ” 
“いやしい”

このような意見もあるにはある。

でも僕はそうは思わない。

なぜなら-


食べることは人の本能だからだ。


人間の三大欲求。

「食・性・寝」
 
寝る話はしても聴いてもさほど面白くは無い。
ただ穏やかに眠りたい。

食べることは生きることに直結する。

人間の本能。

当たり前でありながら、生物にとって特別なプロセス。

だから食べ物に反応するのは自然なこと。

「美味しい!」 
「食べたい!」

全て本能。理屈じゃない。

現代はその「食」にまつわる心の動きの行く先に、
「アップ」するという選択肢が加わっただけ。

「おいしい」はみんなの共通項。

* * *

美味しいものを食べたときの喜びは分かる。 
でも人にまで写真を見せびらかさなくてもいいんじゃない?
 

一理ある。

しかし、これも人間の本能論で説明がつく。 

人間はもともとサル。
(宗教的な理屈にはここでは触れない) 

チンパンジー

猿は群れで生きる。
 
食べ物を独り占めしない。
グループの中で分け合う。


「シェア」

共有するという意味もあるが、もともとは「分け合う」ことを指す言葉。

食べ物-つまり「美味しい」という気持ちを
webを通じて誰かに伝える=知ってもらうこと。
 
これは現代版の「分け合い」なのかもしれない。 

一緒には食べられないけど、写真だけでも!

…と。

人間も一人では生きられない。
だから分け合う、支え合う。
家族を作る。

「アップする」ことは群れ(特定のグループ)の中での分け合い。
(極論だが)


そうでなかったとしても、
伝えたい・聴いてほしいという気持ちは人間の根っこにある欲求。
誰しも持っている。


生物学的にも、心理学的にも、社会学的にも合点がいく。


まあ。

実際にご飯を作って一緒に食べることに勝るものは無い。
美味しいものをちょっとずつ、みんなで頂くのは楽しい。


結論としては。

気兼ねなくアップしたら良い。
それでみんながちょっと幸せな気持ちになれるなら。

と。

夜のお好みにぎり

僕はお寿司が何よりも好き。
見ただけで幸せ。

誰しも毎日ご飯を食べる。
多くの場合は日に三度。

それが楽しみって、素敵だと思う。