大入り

たとえば「住みやすい街ランキング」。

・交通アクセス
・子どもの人数に対する保育所の数
・人口あたりの病院の数
・商業施設の充実度
・外から見た雰囲気

ざっくりこれらのデータを基に作られている。

思うこと。

「住みやすさ」とはデータだけでは表せないのではない。
 目に見えない感覚的なところにこそ、住みやすさがある。

そんなことを言ってしまってはランキングの意味がないことは承知。
あくまで一個人としての意見。

正解は一つではないし、ひとの数だけ答えがある。

* * * 

思い返す。
前職の営業担当で回った徳島県。
山奥の子どもたちは変わらず元気いっぱいだった。
あの食堂のおばあちゃんほどいきいきした人を見たことがない。

交通は不便かもしれない。
公共施設も少ないかもしれない。
ただ、それだけではない。

つまり。
住みやすさとは。

「ここに住んでてよかったな」と思えること。 

そう考えるようになったのはこの頃。 

感覚的なものだから、データに出来ない。
それでも大事。
住んでてよかった、ずっと住みたいと感じられること。

比べればよそはよく見える。
無いものほど目立つ。
羨むより、あるものに感謝して暮らすこと。

どんな街にも良さがある。 
いいなと思えることがまだまだある。

「ここに住んでてよかったな」と最も強く感じる瞬間。
それはひとの優しさやあたたかさに触れたとき。

そう。
街は人の集合体。
まちもひと。
だからデータにできないことの方がずっと多い。

隣のひと。
近くのひと。
地元のひと。
知るほどに街が好きになる気がする。
好きになることが、住んでよかったという想いのはじまり。

住みやすさはモノやインフラだけで決まらない。 

それでも保育園が足りなかったり、
病院で思うように診察が受けられなかったり、
生活に必要なものを手に入れるのに苦労するのは困る。

「これが必要」というニーズは必ず住民から上がってくる。
都市計画から漏れるものもある。
そのような「声」を拾うのが行政の仕事であり、地方議員の役割ではないか。
「声」に敏感なひとたちが増えているように思う。 
もっと横断的に声を集められるといい。

* * * 

こんなことを書きたくなったのは、
20代も終わりを迎える今、
これからもずっと船橋に住むと決めたから。

比べるよりも、生まれたこのまちをもっと好きになりたい。
せっかく住むならば
一人でも多くのひとが「住んでてよかった」と思えるところであってほしい。

変化は必ず小さく始まる。
変わるのではなく、みんなで変える。

20代最後のブログ。
これからもよろしくお願いします(^_^)



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