ネットはすごい。でもちょっと怖い。
この本を読んで、改めてそう感じた。
今は何でもインターネットがおすすめしてくれる。
“この本を買った人は、こんな商品も買っています。”
“安藤信作様にオススメの商品~”
どのページを開いても目に入ってくる広告。
あらゆるところに、あらゆる形で。
最近思う。
あまりネットのオススメに頼り過ぎると、自分で選べなくなる。
飲み会の店を選ぶときに参考にするのは?
グルメサイトの平均評価?ランキング?はたまた星の数?
太字
本もそう。
ネガティブな書き込みがあると、どうしようかなぁ…と迷う。
購買履歴から割り出したり(Amazon)、
自分で書いた興味分野を基にしていたり(Facebook)、
過去の検索結果を繁栄させていたり(Google)。
それなりに心に触れる「オススメ」がなされるのだろう。
企業からすれば「うまいマーケティング」。
しかし-
自分の目で見て、耳で聴き、肌で感じたものが真実であり、現実。
あまりにネットの「オススメ」に頼りすぎれば、自分で判断するのが億劫になる。
選ぶ喜び・偶然の出逢いを忘れないようにしたい。
本屋を歩く。
知らない店に入ってみる。
少々の失敗は笑い話にすればいい。
* * *
もう一つ気になっていたこと。
ますます人は「見たいものだけを見る」ようになっている。
Twiiterしかり、Facebookもそう。
気になる人だけチェック。
興味のある分野の情報をネットで重点的に仕入れる。
効率的?
そうとも言える。
だが知らぬ間に関心の範囲は狭くなっていく。
「合うひと」との会話は難しくない。
そうでないひととのやりとりを円滑にするのはコミュニケーション力ではない。
私は礼儀と教養(≠知識)だと考えている。
(そもそもコミュニケーション力が何かが分からない)
あまりに情報が偏ると、なんとなくコミュニケーションが狭くなる気がする。
それが悪いわけではない。
でもなんとなく寂しい。
専門外は無意味に感じるかもしれない。
だが、そんなことはない。
生きた会話に無駄はない(くりかえし)。
アイデアやひらめき、感動は自分の知らないところからやってくる。
効率ばかり追わず、たまにはムダを楽しもう。
そんなことを考えた日曜日。
のんびり過ごしてみた^^
ツイート
http://blog.livedoor.jp/ando_shinsaku/archives/4085919.html
この本を読んで、改めてそう感じた。
今は何でもインターネットがおすすめしてくれる。
“この本を買った人は、こんな商品も買っています。”
“安藤信作様にオススメの商品~”
どのページを開いても目に入ってくる広告。
あらゆるところに、あらゆる形で。
最近思う。
あまりネットのオススメに頼り過ぎると、自分で選べなくなる。
飲み会の店を選ぶときに参考にするのは?
グルメサイトの平均評価?ランキング?はたまた星の数?
太字
本もそう。
ネガティブな書き込みがあると、どうしようかなぁ…と迷う。
購買履歴から割り出したり(Amazon)、
自分で書いた興味分野を基にしていたり(Facebook)、
過去の検索結果を繁栄させていたり(Google)。
それなりに心に触れる「オススメ」がなされるのだろう。
企業からすれば「うまいマーケティング」。
しかし-
自分の目で見て、耳で聴き、肌で感じたものが真実であり、現実。
あまりにネットの「オススメ」に頼りすぎれば、自分で判断するのが億劫になる。
選ぶ喜び・偶然の出逢いを忘れないようにしたい。
本屋を歩く。
知らない店に入ってみる。
少々の失敗は笑い話にすればいい。
* * *
もう一つ気になっていたこと。
ますます人は「見たいものだけを見る」ようになっている。
Twiiterしかり、Facebookもそう。
気になる人だけチェック。
興味のある分野の情報をネットで重点的に仕入れる。
効率的?
そうとも言える。
だが知らぬ間に関心の範囲は狭くなっていく。
「合うひと」との会話は難しくない。
そうでないひととのやりとりを円滑にするのはコミュニケーション力ではない。
私は礼儀と教養(≠知識)だと考えている。
(そもそもコミュニケーション力が何かが分からない)
あまりに情報が偏ると、なんとなくコミュニケーションが狭くなる気がする。
それが悪いわけではない。
でもなんとなく寂しい。
専門外は無意味に感じるかもしれない。
だが、そんなことはない。
生きた会話に無駄はない(くりかえし)。
アイデアやひらめき、感動は自分の知らないところからやってくる。
効率ばかり追わず、たまにはムダを楽しもう。
そんなことを考えた日曜日。
のんびり過ごしてみた^^
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