今や新聞は嗜好品・ぜいたく品になった。
![P3012704](https://livedoor.blogimg.jp/ando_shinsaku/imgs/0/f/0f6d9c03-s.jpg)
ふわっと広がるインクの匂い。
コーヒーを飲みながらゆっくりページをめくる朝のひととき。
私は新聞が好きだ。
新聞社のWebも急速に進歩してきた。
確かに発行部数は減っている。
「紙の新聞はいつかなくなる」と言う人もいる。
でも私はそうは思わない。
新聞はなくならない。
素朴な疑問。
「新聞がない生活ってどんなものだろう?」
一週間、新聞を読まずに過ごしてみた。
* * *
「情報」ならば他にも様々なメディアから得ることができる。
スキマ時間にTwitter、Facebook。
10分あればニュースサイト。
どれも早いし速い。
新聞はゆっくり。
印刷の都合上、前日深夜の情報までしか盛り込むこめない。
毎日決まった誌面を「埋めなければならない」。
世に大した変化がなくても 、政治で2ページ、経済で3ページと 形に「しなければならない」。
「昨日と変わってなくない?」と感じることもしばしば。
週刊の経済誌でまとめて読む方が流れが分かりやすい。
重複が少ない。
誇張や揚げ足をとる記事で「話題性」を演出することにもやや食傷気味だった。
それほどでもないのに「わずか」や「大敗」などを好んで使う。
余談だが、新聞に充てていた時間が浮いた分、朝ゆっくりと好きな本を読むことができた。
読まない不安は2日も経てばなくなった。
習慣を破る気持ち悪さは初めだけ。
* * *
新聞にはいいところもたくさんある。
まず偶然の出会い。
Webでは目次を見て、気になったものだけをチェックする。見たいものだけ見る。
一方、新聞はざっと目を通す中で、思いもよらない話題が掘り出される。
そこから広がる。
本屋もそんな感じ。
3面の見出しに目を通せば、最近のできことが5分もあればわかる。
時間のないときにこれはありがたい。
大きなことは大きく、小さなことはひっそりと。
フォントや色、構成による「魅せ方」は紙の大きな誌面の強み。
感覚的に捉えられる。
何より生活の一部、習慣、文化になっている。
バイクのエンジン音。「カタン」となるポスト。 時間を告げるもの。
トイレで読む人も、ベッドで読む人も、朝ごはんのお供にする人も。
みな「新聞のある時間」を楽しむ。
長い時を経て日常に根付いてきた新聞は、「効率」の一言では語れない。
情報収集という視点でWebは便利。
世の中は便利になっているはずのに、人はますます「時間がない」と感じる。
情報が増えれば選択が増える。
新聞はのんびり。非効率的。
今や嗜好品、ぜいたく品になった。
本もそうだけれど、紙は間違いなく人になじむ。
理屈ではなく、そういうもの。
歴史が作ってきた文化。
繰り返しになるが、新聞が好きだ。
読むか読まないかは好みの問題。
新聞は無くならない。
でも淘汰はされていく。
広告頼みの体質から脱却し、自らの気品を問い直す必要はあるだろう。
ブロロロロ…
今日もバイクの音が聞こえる時間になった。
新聞屋さんの早起きには本当に頭が下がる。
ツイート
http://blog.livedoor.jp/ando_shinsaku/archives/3874897.html
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ふわっと広がるインクの匂い。
コーヒーを飲みながらゆっくりページをめくる朝のひととき。
私は新聞が好きだ。
新聞社のWebも急速に進歩してきた。
確かに発行部数は減っている。
「紙の新聞はいつかなくなる」と言う人もいる。
でも私はそうは思わない。
新聞はなくならない。
素朴な疑問。
「新聞がない生活ってどんなものだろう?」
一週間、新聞を読まずに過ごしてみた。
* * *
「情報」ならば他にも様々なメディアから得ることができる。
スキマ時間にTwitter、Facebook。
10分あればニュースサイト。
どれも早いし速い。
新聞はゆっくり。
印刷の都合上、前日深夜の情報までしか盛り込むこめない。
毎日決まった誌面を「埋めなければならない」。
世に大した変化がなくても 、政治で2ページ、経済で3ページと 形に「しなければならない」。
「昨日と変わってなくない?」と感じることもしばしば。
週刊の経済誌でまとめて読む方が流れが分かりやすい。
重複が少ない。
誇張や揚げ足をとる記事で「話題性」を演出することにもやや食傷気味だった。
それほどでもないのに「わずか」や「大敗」などを好んで使う。
余談だが、新聞に充てていた時間が浮いた分、朝ゆっくりと好きな本を読むことができた。
読まない不安は2日も経てばなくなった。
習慣を破る気持ち悪さは初めだけ。
* * *
新聞にはいいところもたくさんある。
まず偶然の出会い。
Webでは目次を見て、気になったものだけをチェックする。見たいものだけ見る。
一方、新聞はざっと目を通す中で、思いもよらない話題が掘り出される。
そこから広がる。
本屋もそんな感じ。
3面の見出しに目を通せば、最近のできことが5分もあればわかる。
時間のないときにこれはありがたい。
大きなことは大きく、小さなことはひっそりと。
フォントや色、構成による「魅せ方」は紙の大きな誌面の強み。
感覚的に捉えられる。
何より生活の一部、習慣、文化になっている。
バイクのエンジン音。「カタン」となるポスト。 時間を告げるもの。
トイレで読む人も、ベッドで読む人も、朝ごはんのお供にする人も。
みな「新聞のある時間」を楽しむ。
長い時を経て日常に根付いてきた新聞は、「効率」の一言では語れない。
情報収集という視点でWebは便利。
世の中は便利になっているはずのに、人はますます「時間がない」と感じる。
情報が増えれば選択が増える。
新聞はのんびり。非効率的。
今や嗜好品、ぜいたく品になった。
本もそうだけれど、紙は間違いなく人になじむ。
理屈ではなく、そういうもの。
歴史が作ってきた文化。
繰り返しになるが、新聞が好きだ。
読むか読まないかは好みの問題。
新聞は無くならない。
でも淘汰はされていく。
広告頼みの体質から脱却し、自らの気品を問い直す必要はあるだろう。
ブロロロロ…
今日もバイクの音が聞こえる時間になった。
新聞屋さんの早起きには本当に頭が下がる。
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