人を分類することができるのだろうか-

どうも先入観や偏見のような気がしてならないのです。
しかし、そう思うのも一つのタイプの典型だそうです。
確かにそんな気もします。

これは岡田斗司夫氏の著書
に書かれていました。

本の中で、以下の4タイプに人の欲求(行動の理由)が分けられています。

①注目型…目立ちたい。情熱が大事。 
②司令型…負けたくない。眼に見える成果が欲しい。
③法則型…仕組みが知りたい。理解出来ないとイヤ。
④理想型…自分らしさ、自由を求める。

冒頭のタイプ分け嫌いは④理想型の典型。
判定テストでは私は③法則型と④理想型の中間でした。

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余談はさておき、なぜ人はタイプ分けをしたがるのだろう?
先日の飲み会でふと思い、人の分類の持つ3つの意味を考えました。

理由1.コミュニケーションのきっかけ
理由2.共通点探し
理由3.自己表現の手段

日本人は「こんな人」とタイプ分けをするのが好きな人種ではないでしょうか。
(外国の方とそんなお話をしたことはありませんが) 
血液型、動物占い、性格診断、◯◯診断…挙げればキリがありません。
いつの時代も流行っているのですから、何か理由があるはずです。 

まず1つめは「コミュニケーションのキッカケ」です。
「どんな人がタイプ?」と話したことがあると思います。
「あの人ってこんな人だよね」なんて会話もしばしば。
身近な話題として、会話のキッカケになります。
客観的であるがゆえに、相手との距離を保ちながら話を進められます。

2つ目の「共通点探し」は人と話すときの基本でもありますね。
共感を生むことです。
「あーやっぱりB型だ!何となく一緒な気がしたんだ!」…何百回も言われた経験ありです。
「こんなタイプ」を共有することで、相手との距離を近づけるプロセス。
一緒だと嬉しくなります。
仲間意識・群れ意識に根ざすのかもしれません。
動物占いが狼(自分)でも、同じだと内心嬉しいものです。

3つ目のは「自己表現の手段」
「自分はこんな人です」と語る時、必ず自己分析をした上でタイプ分けしています。
私なら楽観的、頑固、(屁)理屈っぽいなど。
相手に自分を理解してもらい易くする表現方法です。
あくまで自分から見た自分「こうありたい」と願う理想の姿を切り出したもの
相手がどう見ているかは別です。

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つまり、タイプ分けは人とのコミュニケーションを円滑にするための手段と言えそうです。
ものは言いようで、何でもウラオモテがあります。

・ものごとを筋道立てて考える
・直感を大切にする
この2つはよく対比されますが、誰しも両方の側面を持ちます。
本能やカンだけで生きられません。

どちらが「こうありたい」自分に近いか。
性格診断はそのようなものだと思います。

大切なのはなりたい姿を明確に描き、惰性に流されずに精進すること。
目標ですね。

自分が一番見えないもの。

ガンコになり過ぎず、話の流れとして柔軟に受け入れよう…
そう感じた本八幡の夜でした。

蛇足ですが、岡田氏の『評価経済社会』は
これからは貨幣経済→評価(評判)経済になるという理論が痛快な良書です。

 評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている