ネットだって現実だ!責任持とう!
長年思っていたことです。
先進的なメディアには弱い私。
それでもハンドルネーム(仮名)で人や企業の中傷をしたり好き勝手言うのは
どうしても好きになれませんでした。
例えば2ちゃんねる(今だに存在しているみたいです)
その影響で、何となくインターネットが暗く・怪しいイメージを持たれて来ました。
しかし、時代が変わった。
ネットが日常と切り離せなくなり、ビジネスでも必須です。
それでもネットの閉じた部分はまだ残っています。
多くの方がネット上に個人情報が流れることを恐れている。自己責任として当然です。
インターネットは現実の延長である。
この持論の背中を大きく押してくれたのがTwitterとFacebook。
特にFacebookには大きな可能性を感じています。
創設者のミッション・ビジョンにも共感できる!
前置きが長くなりましたが、今回はこのFacebookの生まれてから今までを綴った
「プライバシーとは何か?」を考えていきます。
◆Facebookの価値
映画の影響もあり、「Facebookって何?」と聞かれることが増えました。
使い古されたのは「世界版mixi」という表現ですが、私は根本的に違うと思います。
自分の言葉では「“ウチ”にある“ソト”」。
家に帰っても、そのままの自分でコミュニケーションをとりたいと思うか?ということです。
ありのままの自分を伝え、相手を知り、日常を共有し、人間関係を円滑にするためのもの。
会った時の「そう言えばあれどうだった?」が増えれば、もっと色々話せます。
日常の一側面と捉えているので、「世界6億人とつながる!中国、インド、Facebookだ!」
なんて言われてもピンと来ません。
ちょっと大袈裟な企業広告だな、と感じます。
Facebookの役割、本文では
現実世界での知り合いとの交流を深め、コミュニケーションをスムーズにするためのツール
と紹介されています。さすがに納得。
ポイントはまず現実ありきで、その補助手段であること。
現実ゆえ、当然実名です。
実名でない=本当の自分ではない。プロフィールにも本当のことを書く必要がありません。
自分を偽る感覚-これがずっと感じていた違和感の正体だったのです。
だからmixiも止めました。
◆プライバシーの意味
そんなこと言われても個人情報の流出はコワイ。
会社の人に普段の自分を知られたくない。
自然な感覚だと思います。
今まで人は、「仕事とプライベート」「公私」と真っ二つに生活を分けてきたのです。
私は公私の境目は無くなりつつあると感じています。
決して混同ではありません。融合する感覚です。
昔へ戻っているのかもしれません。
プライベートを守る為に、ハンドルネームやもう一つのプロフィールが用いられてきました。
それに対し、Facebookの創立者マーク・ザッカーバーグはこう言います。
アイデンティティは一つだけ。
2種類のアイデンティティを持つことは、不誠実さの見本。
(実名によって)人々が自分の行動に責任を持つことにこだわることで、
より透明・オープンで寛容な社会になる。
全く同感です。
オープンで公正な世界を作る-Facebookの原点であり、目的。
ここに共感し、使っています。
ただし目線は超ローカルです。地域ありき!
自分の言動に責任を持つことで、もっと幸せな社会が創られる。
人の悪口を言えば、すぐに自分に降りかかってくる。
不道徳な行動が会社に伝わる(実際アメリカではかなりあるらしいです)。
アナタは普段組織で働いていないからそんなことが言えるんだ!
ご指摘もごもっともです。
しかしながら、常に情報を後悔することは、リスクでもあります。
常に見られ、評価される。
悪いことできません(笑)
それでもリスクはチャンス!
新しい友人との出会い。
素晴らしい場への参加。
そして仕事の機会。
常に1つの自分で行動するからこそ、ネット上で多くのチャンスを得ることができます。
これからは
神が見ている(ドラッカー)
という気持ちで、裏表を作らずに人とコミュニケーションを図っていく必要があると考えます。
ただ、スタンスは人それぞれ。
知られたくない範囲も違います。
結局は個人の判断。
どこまで個人情報をオープンにするかを考えるキッカケになるがゆえに、
日本が動揺しているように映ります。
おいおい!国民の半分以上が使っている国があるんだってよ!-という具合に。
素敵な出会いのチャンスを逃すのは勿体ないなぁと思います。
まるっきり社会のあり方が変わるんじゃないか…そんな気がしています。
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