ボランティアとは何か?

日本は長い間「他の先進国に比べてボランティアが遅れている」
と言われてきました。
“アメリカでは2人に1人が毎週ボランティアに参加している”などと具体的な数字で比べられ、
日本も頑張らなきゃ!そういう雰囲気になったのはここ十数年くらいなのかな、と感じています。

本当に日本は遅れているのだろうか?考えました。

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日本ではボランティアがなくても暮らしが成り立っていたからこそ、
ボランティアが発達しなかったのではないだろうか?

昔から地域の中で助け合うことで、皆で生活を成り立たせてきたのではないか。
それは長く続いてきた日本の良いところ
そうだ、アメリカは「個人」を尊重する文化(と言われる)でした。

日本でボランティアが急速に発達しているならば、それは
地域のつながりと助け合いの精神が薄れてきた証拠。
その足りなくなった部分を埋めようとする活動であり、昔へ戻ること。

ボランティアの根っこは、困っている人を助けたい!という気持ち。
その時その時で、苦しんでいる人に手を差し伸べる。
次は自分かもしれない。やれる人がやる。
必要だからやる。
地域・集団に生きる上で欠かせない相互扶助の精神。

そんな自然発生的なものだったのでしょうね。
いつからか地域の機能が欠けてきた所に、「ボランティア」という言葉と欧米の価値観が
一緒に輸入されてきた
本来自分たちが持っていたのに、新しく入ってきた素晴らしい取組として認識される
当たり前のことがステータスになっていった。
・・・こんな流れで今に至るではないでしょうか?

「入社試験の履歴書にボランティアについて書くと有利」などと言う就活本も多いです。
元は当たり前のことのはずなのに…なんだかちょっと矛盾?

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なぜボランティアをするかと言えば
満たされていない最低限のニーズがあるから」に他なりません。
必要なのに届いていない支援を、無料か最低価格で届けること。即ち公の代行です。
これは自身のミッション!

一方、「より良く!」「これを守る」というアプローチもありますね。
ココにNPOの原点があるのではないでしょうか。

ふと-NPOかビジネスかの二択ではなくなって来ている気がします。
それぞれの組織でバランスが違う。
「半非営利組織」なんて近いうちに登場するかもしれません。

自身、地元船橋で「ひとり親支援」を3月までにスタートさせようと構想を練っています。
今日、前述のように考えたことで少しだけ「なすべきことは何か」が見えた気がします。
昔あって今ないもの。必要なのに届いていないサービス。
あとはどこで、誰と、いかにやるか。

いつだって必ずニーズはあります。
それを見つけ、形にし、届けられるかどうか。

最後に蛇足ですが
地元でもやっているゴミ拾いのボランティア。
本当はゴミが落ちてなければ必要ないのに…。
ボランティアとはある意味罪滅ぼしであり、自然に還るプロセスなのかもしれません。