ソーシャルメディアにおける実名の扱いが一部で議論されています
特にFacebookではそうですね。
なかなか利用者が増えない原因がここにあるとかないとか。

インターネットを使う上で、どこまで本名で活動すべきか?

これからより重要になっていくテーマだと感じます。
個人情報の問題、そして活動を特定されたくない(会社に知られたくない)想いなど、
スタンスは人それぞれです。
義務ではありません。正解もありません。

良し悪しより

なぜ日本人は、不特定多数の人に実名を知られることに抵抗があるのか?

もっと根本的な理由・文化的背景に興味があります。
言われているほど単純ではない!?

よくよく考えて見ると

実名への抵抗感は、長い歴史の中で作られてきたのではないか!?

という結論に辿り着きます。
以下、その根拠です。

◆根拠1.元来日本には、本名を大切にする文化がある!

(1)芸名
多くの芸能人が「芸名」を名乗ります。
それは「芸を生業とする覚悟」から来るもの。
まさに伝統芸能がそうです。
歌舞伎、狂言、噺家、お相撲さんもそうですね。本名は名乗りません。
芸名とはプロ意識本名は「ウチ」だけのもの

(2)武士の時代
「元服」がポイントです。
幼い頃の名前と、元服を終えて成人した後の名前が違います。
成人してようやく本名を持つことができます。
幼少時代はかりそめの名で過ごす。
元服名とは責任

(3)諱(忌み名)
主に昔の高貴な方々の制度と聞いています。
両親以外はその人を本名で呼んではならず、仮の名前(諱・忌み名)を普段は用いる。
本名には魂が宿るため、安易に扱ってはならないというもの。
本名が命そのものだと考えられていたのですね。

◆根拠2.名前より役割。

これはシンプルです。
日本人は名前より役割=役職で呼ぶのが好きな人種だと思います。
先輩、先生、お医者様、課長、部長、おじさん、天皇…
挙げればキリがありません。

他の言語圏のことはよく知らないのですが、
間違いなく日本は「タテマエ」を意識した呼び方が好きです。
儒教思想が根底に流れているのだと感じます。

最近では部下や後輩を「君付け」ではなく「さん付け」で呼ぶのがトレンドのようです。
小さな会社では社長のことを「◯◯さん」と呼ぶケースも。
少しずつですが伝統が崩れてきている兆しも。


以上の理由により、日本人は本名を大切にし、安易な公開を避ける伝統に生きている。
と結論付けるに至ります。

だから「アメリカではネット上の実名公開がすぐに広まった」と言われても説得力はありません。
国が違えば文化が違う
もっと深~いところに理由があると思います。

最後に、私は常に「実名主義」です。
確かにリスクもあります。
しかしリスクはチャンス。スモールビジネスは機会を逃せないのです。

そして如何なる時も自分の発言には責任を持たねばなりません。
人は、一言一言で判断・評価されます
小さな発言の積み重ねが人物像を作っていくのではないでしょうか。

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