母国を離れ、外国で生きるとはどういうことか?
時に現実は冷たい。
考えさせられた夜でした。
昨晩は韓国人の友人と。
六本木の「カフェ・シンガプーラ」さんにて。
料理も話もスパイシーな夜でした。
彼は言います。
ずっと日本で暮らしたい。
旅行でも留学でもなく、外国に生きるという選択。
それは覚悟です。
まず自分は選ばないであろう道。
その勇気、尊敬せずにはいられません。
言葉の壁は努力を重ねればある程度は埋まります。
しかし見えない「文化の壁」は無くなりません。
文化とは国が国である根拠。
存在理由の証明であり、国そのものとも言えるかもしれません。
つまりは外国で暮らす時、「完全には馴染めない」という不安が残ります。
外国人・Foreigner という言葉の存在自体が排他的ではないでしょうか?
そんな不安を抱えながら、一生懸命に生きる方々。
日本で経営者やプロフェッショナルとして成功したい!
強い意志と夢を持った異国の友人たち。
応援したい!
できることは限られていますが、何か手伝いたい!
そしてお互いに刺激し合い、励まし合い、未来を描いていけるならば、
これほどワクワクすることはありません。
夢に国境なし。
時に現実は冷たい。
外国人参政権や労働待遇の問題、諸々の諸制度。多くの課題が存在します。
不利を被ることも少なくないのも事実です。
これからますます移民が増えれば、もはや他人事ではなくなります。
「外国人」が死語になる日が来るかもしれませんね。
旅行は愚か、ろくに外国旅行もしたことがない自分。
視野が狭いと言われれば、返す言葉がありません。
それでも「自分に出来ることは何か?」
問うていきます。
今のところは-
メディアに流されず、まっすぐ人を見ること。
ここから始めます。
人と国は切っても切れないものですが、時に分けて考えないと現実を見誤ります。
ニュースやネットを見て、「○○の国ってこうだよね」と批判されるのを聞くと、ズキリと胸が痛みます。
母国を離れ、必死に頑張っている人がいるのに!
と叫びたくなる。
ただし、国家として「これはマズい」と思うこともあります。
グローバル化と言われて久しいですが、世界においても大切なのはバランス。
幸いにも「調和」が重視される流れの中、「自分の国だけ」という考えは
益々受け容れられ難くなっていくのでしょうね。
一緒に暮らすなら、楽しい方が良いです。
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