船橋に日本刀の「研ぎ」を生業(なりわい)にしている人がいる。
そんな情報を得て、仕事現場の見学に伺った。

西船橋の街ゼミにて
 
松村壮太郎(まつむらそうたろう)さん。

先日、西船橋の「まちゼミ」で講師をされていた方。 
その時に話されていたのはレコードのこと。 
しかし松村さんの本業が刀の研ぎ師だと知り、僕はレコード以上に「研ぎ」に興味を持った。

松村さんの仕事場は地元で、それも実家のそば。
初対面なのに、半ば強引に見学のお願いをした。
「いつでも来てください」と快いお返事を頂いた。

* * * 

向かったのは船橋市飯山満(はさま)町。 
東葉高速線の飯山満駅を降り、芝山団地商店街と真逆の方向へ。

農家さんやお寺のある細道をうねうねと。
駅から10分ほど歩き、お仕事場でもあるご自宅へ到着。

ご本人と奥様が迎えてくださった。
小さなお子様もいらっしゃり、上のお姉ちゃんはとても人なつっこい。
大切な「おやつ」の駄菓子をくれたりした。

まずは刀の「研ぎ師」とは何かについて伺う。
より正確には研ぎ師ではなく「研師」(とぎし)と書く。

全国で本業としての研師は五十人程度。
一県に一人いるかいないか、というところ。

静岡県出身の松村さん。
おじいさんの代からの研師。
19歳で弟子入りをし、十年もの修行を経て独立。
それだけ高度な技術と「目」が必要だと話される。
(資格があるわけではなく徒弟制)

日本刀というと高価なインテリア(贅沢品)のイメージ。
減ってきてはいるが、確かにコレクターもいる。
けれども昔は武器であると同時に家の「守り神」でもあったそうだ。
一家に一本、刀があった。

実際に刀を見せて頂いた。
火事にも耐えうる金庫に大切に保管されていた。
(注:刀は登録すれば所持・運搬が許される)

刀は国宝の登録数が最も多い美術品。
高価なものは数億円。

刀を見せて頂きました。

鎌倉時代(左)と江戸末期の刀。

古いものになると、日本刀の歴史は平安時代に遡る。

「七百年も前のものがこんなに綺麗に残っているなんて凄くないですか?」

と、鎌倉時代の刀を持ちながら松村さん。

確かにそうだ。
鉄なんだから、放っておけばすぐに錆びる。
だが目の前にある刀はこんなにピカピカ。

それこそが研師の仕事。
大切な日本の「文化」としての刀を、美しい状態で後世へ伝え残していく。
今ある刀が綺麗な状態なのも、大事に大事に受け継がれてきたからなのだ。

そんな日本刀を僕も持たせて頂いた。
刀を「見る」にも礼儀がある。 
礼をし、刃に触れないよう丁重に扱う。

江戸末期の日本刀
 
そして刃紋(はもん)を見る。
刃紋とは刀を作る工程で刀身にできる模様のこと。 
一本一本、全て異なるという。

「刀は鉄の芸術です。見た瞬間、ぶわーっと身震いするものに出逢うこともあります。」 

刀は武器である(あった)と同時に、芸術品でもある。 
だからこそ独特の美しさを持ち得るのかもしれない。

* * *

長くなっているが、どこも端折(はしょ)れない。
初めて聞くことばかりで面白い。 

2階へ上がり、実際に研ぎの現場を見せて頂いた。
家の一室に据えられた、手作りの作業場。 

美術刀剣研磨師|松村壮太郎さん
 
一本の刀の研ぎに要する時間は短くて十日。 
長ければ三週間かかると言う。

目の粗さの違う何種類もの砥石を用い、全て手作業で行う。
「好きじゃなければできない」と松村さんが語られるように、大変に地道な作業だ。
同じ体勢でひたすら研ぐため、体力も必要になる。
刀は繊細であり、集中力も要る。
 
美術刀剣研磨師|松村壮太郎さん②
 
作業する様、そして音が美しいと思った。
シュッ、シュッという研ぎの音、ぽちゃんという水桶の音。
大げさな表現になるが、作業時代が芸術であり文化なのだと感じた。

* * * 

二時間。
すっかり長居してしまった。

貴重なお時間を頂き、丁寧にお話くださった松村さん。
ありがとうございます。

自分にはとても刀は買えない。
でも、日本文化の一つを知れて良かったと思う。 

いろんな仕事がある。
まだまだ知らない世界が近くに沢山ある。

とても興味深い時間だった。

【お願い】

お仕事場が個人宅のため、ご住所・ご連絡先を公開していません。
松村さんへのお問い合わせは、私宛にご連絡ください。
(ブログ最上部の「連絡・お問い合わせ先」タブをご参照願います)