言葉は基本的に「出す」側にその責任がある。


先日、僕が何気なく発した(書いた)言葉で大先輩をご不快な気持ちにさせてしまった。
自分には全くその気は無かった。
大変申し訳なく、お会いしてお詫び申し上げた。
言ってくださったのが有難く、嬉しかった。


改めて言葉とは「受け手が意味を決める」ものだと思った。
出す側の意図とは全く別のカタチで言葉が伝わることもある。
だからこそ言葉は慎重に選ばなければいけない。


特に対面で無い場合は注意が必要。
その場の空気感や表情、感情が伝わりにくい。
文字だけだと良くも悪くも抑揚なくストレートに伝わる。
ともすれば冷たく無礼な印象を与えかねない。
言葉は丁寧に選ばなければならない。

* * *

個人が色々なところで言葉を発信できるようになった。
いいことだと思う。

ただ、十分に心しておきたい。

言葉を発し、誰かの目に触れるとき。
その言葉は多かれ少なかれ相手の心に触れている。
大なり小なり影響を与える。

勇気や元気や笑いを与えもすれば、
傷つけたり哀しませたりもする。

それが言葉。

他人である限り。
100%自分の想いがぴたっと相手に伝わることはまず無い。
意図せず誤解を生んでしまうときもある。

言葉には責任が伴う。
実名だろうが匿名だろうが同じ。
自分の言葉が誰かの目に・耳に触れるならば、その言葉に責任を持たなければならない。
必ず自分に返ってくる。


受け手(聴き手・読み手)のことが考えられた言葉選びは優しい。
それは気遣いであり、思いやり。
そうなれるようになりたい。

ただ、あまりに「見られ方」意識し過ぎると不自然になりがち。
その辺はバランス。


言葉が届く過程で必ず誤差が生じる。
だから丁寧に選ぶ必要がある。

2013年7月15日 

他人の言葉は気にならないようで気になるもの。
気にされていないようで気にされているもの。
不特定という特定の仕方もある。


言葉の意味は受け手が決める。
相手を必要以上にドキリとさせる言葉を発していないだろうか。

気持ちよく過ごすために。
気をつけたい。