浅草を歩いていて、ふと思った。
 
浅草
 
もし船橋に遠くから友人が遊びに来たとして、
自分ならどこを案内するだろう?

…。

ぱっと思い浮かばなかった。

船橋市観光業界のサイトを覗いてみる。
知っていれば、あーここだ!と思うところいろいろ。
情報誌を比べ眺めても、だいたい同じ。

市内に僕がいいなと感じる場所はたくさんある。
しかしそれは、遠くから来たひとにとっても面白いものだろうか。

※以下は個人的な一意見です。ご容赦ください。

* * *

例えば船橋駅周辺。
幼い頃から歩いた本町通りを見てみる。

サラリーマンやおじいちゃんおばあちゃん、親子連れがごっちゃになって歩く。
昔ながらの商店街。

観光地によくある出店や店先での販売はほとんどない。
お土産屋もない。 

特産品や美味しいもの、名所や歴史は山ほどある。
なぜか。

僕が感じるのは

「まちが観光シフトしていない」ということ。 

観光客向けにできていない。
もちろん意識の高い方、積極的なPR活動をされている方は多い。
ただ、まちに住むひとの多くは観光という目線をあまり持たないのではないか。
(僕も観光という切り口で考えたことはあまりない)

それは地元のひとにとっての住みやすさなのかもしれない。
静かで、あたたかくて、ときににぎわう。
近くでなんでも揃う。 

* * *

●特産品と目線の地元シフト
 
ここで特産品や名産と言わるものの価値について考えたい。
各メディアでとりあげられている西船橋の小松菜を例にとる。

青々した小松菜
 
生産者と消費者がいっしょになり、多様なPRが行われている。 

このPRの影響を便宜的に「ソト」(市外)と「ウチ」(市内)に分ける。 
市外の方が「へえ~船橋の小松菜って有名なんだ」と思うよりも
市内の方が「船橋って小松菜作りが盛んなんだ!」と思う方が影響が大きい。
購買行動に結びつきやすい。 

「ウチ」すなわち地元のひとに訴えることに価値有りと見る。

知ることで、目線が地元にシフトする。

これが非常に重要。

「どれでもいい」が「これがいい」に変わる。 

船橋産への感度が上がる。 


●経済効果

他県産の小松菜から船橋産を選んで買うように変えたとする。
(恐ろしく大雑把に言えば)他県農家の売上は減り、船橋の農家の売上が増える。
日本全体で見ればトントンになる。
どこにお金が落ちるか、だ。
また、遠くから野菜を運んでくる運送会社の仕事はどうだろう。

「小松菜パウダー」のような+αを生み出すものはちょっと異なる。

小松菜スイーツ

普通のマフィンを小松菜パウダーで緑色に仕上げるところに付加価値が生まれる。
(話題としても、パウダー購入分の売上高としても。)

どうせならば、作り手の顔の見えるものがいい。
安心感。買うことでその人と近づける感覚。


ひとにあげるお土産。

63

いつも買っていた東京大手のお菓子を止めて、
船橋セレクションにも輝いた船福さんの海苔を選ぶとする。
お菓子会社の売上は減ることになる。
やはり全体で見ればトントン。
 
「いつもの」から「これがいい」へのシフト。 

この価値に着目したい。 

* * * 

●知ることが住むまちを考えることにつながる 

特産品のPRに見られる「まちおこし」の持つ価値。

こうして考えてみると-

やはり対外的な側面以上に、地元の人への影響が大きい。
何かがメディアでとりあげられたとして、心躍るのは地のひと。

「こんなのあるんだ!」

知ることで目線が地元に移る。

目線のシフト。

「どれでもいい」が「これがいい」に変わる。

知るほどに住むまちが好きになる。

「どうでもいい」が「好き」に変わる。 
0から1へ。
素敵だと思う。

地元に興味が出てくれば、「もっとこうなるといいな」と思えるようになる。
知ることは住むまちを考えることにつながる。
一人ひとりの意識の変化が、まちを変えていくのかもしれない。


「まちおこし」にはいいことがもう一つある。
PRの過程でひとがつながっていくところだ。
近いからこそつながりが生じやすい。
ひとが集まれば、新しい動きが出てくる。 

* * *

まとまりのない文章になった。

結局は地元って面白いな、ということ。

まだ知らないものがたくさんある。

P3069909-001

つい先日、ご一緒いただいた方の言葉。

「25年間住んでいて、はじめて船橋で飲んだよ。」

ちょっと嬉しくなった。

この日は珍しく家に帰ってもすぐに寝ず、興奮気味にしばらく話した。
 

【関連記事】

「住みやすさ」という考え方
船橋が「異常」