芝山には、芝山団地商店街以外にもう一つ商店街がある。
いや。“あった“と言う方が正しいのかもしれない。

そこはかつて「三丁目の商店街」と呼ばれていた場所。
十と少しのお店が軒を連ねていたところ。

高校卒業とともに上京し、25歳で芝山に戻る。
三丁目の商店街は、僕の知っている商店街ではなくなっていた。

新しいマンション
 
商店街の半分は綺麗なマンションになった。
あの日の面影は無い。
昔から残っているのは魚屋さん一軒だけ。 

三丁目の商店街

僕にとって商店街と言えばここだった。
これまた懐かしい記憶がたくさん詰まった場所。

今は無きあの頃の風景。
ちょっとだけ昔を振り返ってみる。

* * *

端の美容室は小学校からの同級生、リカちゃんのお母さんのお店だった。
二階にあった「家」に何回か遊びに行った。
(一階が店舗スペース・二階が居住スペースの昔ながらのつくり)
お店の裏から上がる階段。ぶうんと唸る室外機。なんだかワクワクした。

駄菓子屋をやっていたお茶屋さんがあった。
100円玉をポケットに入れて通った。
きなこ棒で何回連続で当ったかを自慢し合い、
「カードダス」を何百枚と集めた。
50円のアーケードゲーム目当てにやって来る小中学生のたまり場だった。

大森文房のおじちゃん。
小学生の頃はとても怖かった。
おそるおそる「これください…」と商品を差し出した。
本当は優しかった。
弟と「ガンケシ」を競い集めたのもここだった。

酒屋さんは父に頼まれてタバコを買いに行った場所。
「ハイライト」の名前は幼稚園のときには覚えていた。

ハイライト

“しんちゃん、いつも偉いね。”

お使いの度にほめてくれた酒屋のおばちゃん。
今は故郷の北海道に戻っている。

肉屋では子ども用ソーセージをねだった。買ってもらえなかった。
八百屋ではサツマイモを焼くドラム缶から上がる湯気を飽きずに眺めていた。


記憶の中のお店たち。
どれも、もう過去の景色。

ぽつりぽつりと畳んだり、移転したり。
先に書いたように、昔からの店舗は魚屋を残すのみ。

公文式やケータリングのお店がテナントとして入っている。
でもそれは、かつての商店街とは違う。
ただのスペースでしかない。
店舗間の「横のつながり」がない。

幼母に連れられて買い物をした商店街。
その楽しみは次はここ、次はここと、お店を渡り歩くところにあったのかもしれない。 

近所のひとはみんな「そこ」に行くから、必ず知っている人に会った。 
アーケードの下でおしゃべりに興じる奥様方。
今はもう見ることができない。

夕方になると商店街に買い物に行く。

当たり前のことだった。

商店街は生活の一部だった。
人の中に組み込まれた時間だった。


変わっていないようでいて、変わっていく近所。
最近、妙に昔が懐かしい。




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