ソーシャルメディアはいいものだと思う。
さまざまな場面で役に立つし、ずいぶん助けられている。
昔に戻ろう、なんて言う気はない。
大事なのはメディアとの付き合い方。

しかし『つながらない生活』という本を読んでふと考えた。 

自分はソーシャルメディアを気にかけ過ぎではないか?



こんな思い当たる節がある。 

●Facebookなら-

・一日に何度もアクセスしてしまう。 
・いいね!の数が気になる。
・コメントにはなるべく早く返信したい。

●Twitterなら-

・毎朝“おはようございます”とツイートする。
・仕事が一段落するとついアプリを開いてしまう。
・歩きながらも見る(危ない!)
・電車の待ち時間でも眺める。
・「どうでもいいことだ」と思いながらもつぶやいてしまう。
・しばらく見ないと不安感がある。
・人と話していてもアップする。

うーん…

この状態は「つながり中毒」と呼べるのかもしれない(笑) ← 造語です

* * *

ソーシャルメディアを開いて人の発言を眺めていると、何となく一緒にいる感覚がある。
プロフィール写真もあり、本当に会話しているように思えてくる。
集まっているのは仲の良い友人だったり、ご近所さんだったりするからなおさら面白い。 
会った時も「あー、あのことね!」と盛り上がる。
相手を理解したり、会うキッカケが増える。
バーチャルと言うよりは、ネット上に延びた現実。
受け入れられてもらって嬉しいのは、どこでも一緒。


一方でマイナスの部分もある。
読書で気が散ることが増えた(携帯をついチラ見)。
先も述べたが、しばらく見なかったときの「置いていかれた感」。
反応を気にしてしまうもどかしさ。
一言で言えば「なんとなく落ち着かない」のである。
(ケータイを握りしめて寝る高校生に似ているとも^^;)


ソーシャルメディアやネットと完全に遮断された感覚を、私は忘れているのかもしれない。
慣れているから気づかない。
『つながらない生活』で述べられていたところによれば、ネット断ちをするところに
「安らぎ」「人間的深み」があると言う。


半日むさぼるように本を読みたいこともあれば、
何も気にせずぼーっとしたい時もある。

大切なのは「人と会って話すこと」。
文字だけでは表現できない人間的な感覚。
アイデアや新しい何かはそこから生まれる。
ソーシャルメディアはそのキッカケを作る一手段だと思う。

つぶやきの波から上がって過ごすことも大切。

P5083526

本来ならば人と話す時にケータイは触らない。
目の前の人を大切に想うなら当然のことだ。
面と向かって「SNS更新待ち」ってなんかヘン。
更新はあとでもできる。
「目の前の私<リアルタイム発信」は、少し寂しい気がする。

いつの間にか友人といながらソーシャルメディアを更新することに違和感がなくなっている。
これは怖いことかもしれない、実は。

その行為自体がコミュニケーションとも言えるのかもしれないけれど。


ケータイを持たない、触らない時間を作りたい。
忘れていた何かを、失ってしまった感覚を取り戻せる気がする。 


Clip to Evernote



http://blog.livedoor.jp/ando_shinsaku/archives/3987210.html